Onion-City.comトップページ


インタビュー一覧
  • Vol.4 ママさんバレーボール監督 稲山 桂子さん(60歳・賀集地区)
  • Vol.3 木工家 岡田 敦さん(31歳・倭文地区)
  • Vol.2 瓦師 清水公博さん(36歳・津井地区)
  • Vol.1 写真家 野水正朔さん(77歳・市地区)
  • インタビューを開始します!(2009/11/27)
  • Vol.4 ママさんバレーボール監督 稲山 桂子さん(60歳・賀集地区)


    4-1.jpg
    チーム「南淡」のメンバー。
    2009年ローソンカップ優勝時の写真。
     第4回インタビューは、2006年、2009年に2度の全国優勝、それ以外にも兵庫県大会で数々の優勝を飾ってきたママさんバレーボールチーム「南淡」の監督を務める稲山桂子さんの登場です。稲山さんは、現在は市役所を定年退職されたご主人・昜二さんと夫婦で農業を営むかたわら、監督をされています。
     チーム「南淡」は2010年で結成24年を迎えましたが、設立当初は稲山監督自身も選手だったとのこと。家庭を持つ「ママさん」ならではの悩みを抱えつつも、今なお強いチーム「南淡」の魅力と稲山監督ご自身のバレー人生についてお話を伺いました。



    “稲山監督”が生まれるまで


    ■監督は学生時代からバレーボールをやっていた?
    「私はサウスポーでアタッカーやったんよ。当時はサウスポーは珍しかったんか、賀集の学校の先生が柳学園高校のバレー部の先生に『サウスポーで良い選手がいる』と紹介してくれたんがきっかけで、柳に行くことになった。柳は全国大会に出るくらい成績が良かって、私も行った。高校3年生のときに全国大会で柳が優勝して。さすがに全国大会出たらスカウトが来て、その後、池坊短期大学に行くことになった。そやけど、当時は、先生も親も『行け』って言うから行ったようなもんやったけどな。」

    ■結婚して、ママさんバレーの世界へ
    「短大出てから1年くらいで結婚して、その後5年間はお父さん(=ご主人の昜二さん)の仕事が大阪やったから大阪に住んどった。子供もできたばっかりやったから、大阪ではバレーはしてなかったな。淡路には、元々、お父さんも近所(賀集)の生まれやったから、お父さんが役場に転職したきっかけで戻ってきた。
     戻ってきてから、淡路のどこでもようある部落対抗のバレーに誘ってもらって出るようになった。うちの部落は、練習もしてないのに、ずっと勝っとったわ。
     そうしとるうちに、当時、旧南淡町にはママさんバレーのチームはなかったんやけど、旧三原町には『三原クラブ』というのがあって、そこに入れへんかと誘われた。そやけど、そのときはまだ市町村合併してなかったから、三原クラブに入ろ思たら三原に住まなあかんかった。それで、お父さんにも相談して、神代にある親戚の家に住民票を移して三原クラブに入ることにした。バレーが好きだったし、お父さんもええと言うてくれるし。
     それから3、4年して、さすがに住民票移しとるのも良うないという話になって、そこに、ちょうど南淡にもママさんバレーボールチーム作る話が出てきて。最初は、べんどさん(注1)が発起人で監督、私がキャプテンやった。9人制で、メンバーは9人か10人かギリギリやったと思うわ。経験者ばっかりのメンバーやったから全国大会にも出たけど、ベスト16くらいやったかな。
     それから45歳くらいまでは選手で、その後もコーチみたいな形で残ってしよった。そやけど、べんどさんが島外に行くことになってしもて、私が監督を引き継いだというわけやね。」

    (注1)「べんどさん」の「べんど」は、木へんに黒と書きますが、外字で表記ができないため、平仮名としています。ご了承ください。

    チーム「南淡」:2度の全国優勝


    ■2006年「第37回全国ママさんバレーボール大会」で全国優勝。自信はあった?
    「1つ1つ試合こなしていこう思ったら、あ、勝った、あ、勝ったという感じ。
     試合前日に対戦相手の抽選会があって、1回戦に福岡とあたることになった。全国のことをよう知らんかったから、抽選会に一緒に行っとったキャプテンと『大阪とかでなくて良かったなあ。福岡で良かったなあ。』と言っていたら、兵庫県の担当の人がやってきて『福岡はクラブチーム。3連覇狙ってきてるんですよ。福岡だけは引いてほしくなかった。』と言われてビックリよ。クラブチームいうことはスポンサーもついて、県内で強いメンバーだけ集めたチーム。大会は愛知県であったんやけど、ホテルも会場近くの1人1万円くらいもする高いとこに泊まって、私らやこと、ママさんで贅沢なんかしとられへんから、何とか安いとこと思て素泊まり1人3,000円の昔の木賃宿(きちんやど)みたいなとこで。これはさすがに負けると思て、次の日に淡路から『はがね軍団』いう応援チームも来てくれることになっとったんやけど、愛知までお金かかるし、1回戦で負けるからもう来んでええ言うたくらい。そやけど、応援メンバーが『福岡が強いんやったら、それに勝ったら優勝だあ!』言うてくれて。結局、来てくれたわ。
    4-2.jpg

     キャプテンと宿に戻ったら、メンバーは晩ご飯食べよるとこで、『どことあたったんですか』って聞くから、隠してもしゃないから、福岡が3連覇狙ってきてクラブチームでということを話したわ。そしたら、みな、シーンとなってしもて。けどそのときに、メンバーの2人が負けん気強かったんやろね、『やってみないと分からん』、『勝ったらええんやんか』と。そうは言っても、まあ、明日負けて帰ることになると思うから、荷物まとめて出る用意しとけよ、旅館も明日の夜の分はキャンセルしとけよって夜のミーティングで話して寝たわ。」

    ■福岡と対戦・・・そして、決勝戦。
    「それで次の日、1試合目の福岡と。『最初で最後の試合やから、悔いのないようにやれよ!』と勢いだけでとにかくはじめた。まあ、負けるとは思てたけど。そやのに、それがストレート勝ち!押して押して、相手が攻めるタイミングなかった。びっくりしたわ。それで、次も勝って、また次も勝って。1日目の最後の試合は3セットで競り合って勝った。勝ってしもたら、すぐに『宿もう一回予約せな!』となってまた宿へ。
    2日目の決勝戦は、大阪の高槻クラブいう、やっぱりクラブチームやった。もう誰が見ても大阪の勝ち。兵庫県の担当者の人も、「兵庫県はクラブチームじゃないから、良い試合すればよい。勝ち負けは気にしない」いう感じで、私らもそう思とった。掃除のおばちゃんらまで、『大阪の勝ちやな』と言っとった。会場の観客も、チームメンバーも私も、大阪が勝つと思っとった。『テレビに出るんやさかい、どないぞ、10分や15分で終わらんように、誰が見てもええ試合やったと言ってもらえるようにせえよ。』と言って試合開始。
    1セット目は21-19で負けた。そやけど、19点も取ったら、まあ、見よる側からしたら面白いし、とにかく良かった。2セット目も『1セット目良かったから、2セット目もめんどい試合すんなよ』と言って開始。競って競って、その上に今度は勝った。それで3セット目は21-7でボロ勝ち。相手はクラブチームやから、この試合のために集められたメンバーや。そやから、途中でめげ始めると、どんどんめげてしまう。」

    ■2009年「ローソンカップ」で再び全国優勝。
    「2009年のローソンカップは全国大会が兵庫県開催やったから、優勝を目標にして頑張ってきた。2006年のときとは違って、今回は全部ストレートで勝って優勝。2009年は公式試合は1試合も負けてない。
     その後、親善試合でハワイに行って試合したけど、これも全部勝った。ハワイにはママさんバレーはないから相手は高校生。うちのチームにも170cm台の選手もおるけど、向こうは180cmはざら。ハワイの高校生は6人制で、親善試合は9人制だったからそういうので戸惑ったところはあったんやろけど、うちが勝ったら高校生は悔しがっとったわ。」

    家族の理解、周りの応援があってこそ


    ■ママさんバレーだと家族の理解が必要では?
    「ほんまに家族の協力と理解が必要。メンバーも、みな昼間は仕事を持っとるし。家族が出してくれへんかったら、行かれへんからね。昔のメンバーの中には農繁期とか白菜やらなあかんとかで、なかなか参加できへん人もおったけど、今のメンバーは、みな、家族の理解があるね。
     ママさんバレーは、言うたら、趣味みたいなもんやから、『子供と家放り出して、よう行くなあ』という声があるのも確かやと思う。そやから、試合もこそっと行って、こそっと帰ってきて、気をつけとるつもり。まあ、そやけど試合に勝って新聞にも載ってしもたらバレるけどな(笑)。」

    ■応援団もあるんですね!
    「『はがね軍団』言うて、ほんまによう応援に来てくれてありがたい。
     それから、2006年に優勝したときは、市がホテルで壮行会も開いてくれて。
     試合勝ったら、新聞やテレビや広報誌にもよう載せてくれて、ほんまにありがたい。そやけど、ママさんやし、やっぱり趣味やから、あんまり派手にはしたくないと心得とるよ。」

    チーム「南淡」は、これからもますます!


    ■チーム「南淡」の強さはどこからきている?
    「ママさんは、やっぱり女性ばっかりやから、ほんまに今までも色々あった。家庭の事情もあるし、メンバー同士がうまくいかんようになって難しかったときもあるし。
    そやけど、今のメンバーはそういうことがないね。バレーが好きで、バレーの練習が好きで、自分のバレーの技術を磨きたい気持ちで、練習に来るのが楽しみでバレーしとる。そういう人がうまいこと集まっとる。相手のことを悪く言う人もおらんし、それぞれが目標持って魅力あるメンバーが集まっとるわ。途中で1、2人メンバーが変わることはあったけど、今のメンバーは10年くらい一緒にやっとるかな。」
    4-3.jpg


    ■「全員バレー」とのことですが?
    「うちのチームは、年齢も30代から40代後半まで幅広い。セッターは、県で1、2位を争うほどの腕。レシーバーも良いし、アタッカーは170cmあるけど、他のチームに比べるとこれでも低い方で、そやけどよくやっとる。メンバーのうち5人はSANYO実業団でやっとった。そやけど、実業団上がりでも、セッターが良くても、それだけではママさんバレーは勝てない。やっぱり『全員バレー』。
     そやから、負けとる試合でも勝ったり、ミスしてもくさらへん。絶対にあきらめへん。誰かのミスをその人に押し付けへんからミスを引きずらず、2回目のミスが出えへん。気持ちが切れへん。『え?あのボールを?』というようなのを、ここ一番というときに上げることができよる。何というか、互いを信頼しとるというか、言葉で表せへん何かがあるのか。新聞にも『光る集中力』って書いてくれとったけど、ほんまに、集中力と精神力がすごい。」

    ■監督としての極意は?
    「私は、試合前とかくらいしか練習にも行けへん。60歳になって寒い体育館にずっとおるのも我慢できへんし(笑)。周りから見たら、試合だけ行って『ええとこどりして』と思われるかも知れへんけど、選手のメンバーからそういうことを言われたことはないな。
     他のチームの監督の中には、ミスしたときのボールの取り方やら、ポジションやらを指導しとる人もおるし、まあ、それが監督なんかも知れへんけど、選手のメンバーはみんな学生時代や実業団でとことんバレーやってきた人ばっかり。そんなん、いちいち言われんでも知っとるし、ミスったら自分が一番よう分かっとるわけやから、私はそういうのは言わんようにはしとる。まあ、それよりも、試合前に硬くなっとったら、ちょっと冗談でも言うてムード盛り上げるとか、それが私の役割かなと思とるわ。」

    ■監督は今後も続けられる?
    「去年、60歳で還暦迎えて、正直ちょっと考えたよ。全国優勝もしたし、引き際としてはこれ以上ないタイミングやとも思た。そやけど、家の事情とかそういうのがあって仕方なしやったらともかく、今のところ、お父さんも理解してくれとるし、誰か監督が出てくるまで、やれるとこまでやろうかと思とる。
     ママさんバレーは成績ばっかりじゃない。もちろん、試合では勝ちにいくけど、楽しく一生懸命しよう、自分のプレーを磨こうという感じ。それが、たまたま結果に結びついとる。今のチームは、全国優勝したから、あとは落ちるしかないわけやけど、負けてもかまんと思とる。負けたからといって何かあるわけでもない。今まで20年以上もやってきてどん底もあったし、好きで集っとるんやから。まあ、楽しくやって、頂点になれれば結構なことやね(笑)。」

    ------------------------------------------
    チーム「南淡」に関係するウェブサイトの記事へのリンクを掲載します。
    2006年第37回全国ママさんバレーボール大会優勝時の記事(神戸新聞)
    2009年ローソンカップ全国優勝時の結果一覧(ローソンカップ公式サイト)


    稲山監督、楽しいお話をありがとうございました!
    チーム「南淡」、今後ともご活躍を応援しております。

    (インタビュー日:2010年2月11日 文責:溝淵)
    このアイテムは閲覧専用です。コメントの投稿、投票はできません。
    Copyright(C) onion-city.com, all rights reserved.
    Powered by | nucleus | hanamachi-Ya!