Vol.2 瓦師 清水公博さん(36歳・津井地区)
第2回インタビューは、南あわじ市津井地区在住の瓦師 清水公博(しみず きみひろ)さんです。
清水さんは、29歳で淡路瓦の白地を製作する工房「清水」を興し、2010年に迎える「淡路瓦400年祭」実行委員会委員長を務める若き瓦師。今年の夏には、瓦ギャラリー「Vasara Ba」をオープンし、「窯業-窯元-白地」といった従来からの工業生産型体制には加わらず、独自の目線で淡路瓦のアピール、市場開拓に取り組んでおられます。
*Vasara Ba ウェブサイト: http://www.vasara-sp.com/
*淡路瓦400年祭オフィシャルブログ: http://project400.exblog.jp/
■生まれも育ちも津井とのこと。瓦に触れるようになったのはいつ頃から?
「祖父と母は元々窯業をしていた。中学生の頃に廃業。
私自身は、専門学校をやめて津井に戻り、目標もなく仕事をしていましたが、2年後に親戚の瓦屋で働き始めたのが瓦に触れるきっかけとなった。その当時は、白地も窯元も、分業化された瓦産業の一部分を担うのが普通であり、瓦が最終的に建築現場でどういう風に使われているかを知る機会はなかった。また、施主(建築主)も、家を建てるにあたって事前に瓦を詳しく知ったり調べたりすることはなかった。そんな中、建築現場で瓦葺きの仕事をするにつれて、道具物(装飾のある軒瓦や袖瓦)の改良をしてみたいと思うようになった。その頃から、昼間は瓦工場で働いて、夜は瓦葺きと道具物の改良をするような生活をしていた。道具物を作る作業場が無かったから、狭いガレージの中でやっていた。」
■25歳で結婚、その後会社を興して“瓦師”になる
「結婚して子どもが出きてから、しばらくは妻(めぐみさん・36歳)も瓦の仕事を手伝っていた。妻は、塀瓦や塀の飾りになる「はな」や「まがり」などの道具物を作っていた。その後、ギャラリーを構えてからは、事務や製品の配達、営業に専念してもらっている。今年からは、ギャラリー「Vasara Ba」も開設したので、これから色んな人に訪れてもらいたい。
今は、「瓦切り文字」が一押し商品。既製品とオーダーメイドがある。いぶしや還元(かんげん)の瓦の切り文字を組み合わせて表札などを作ると、経年で色むらが出てきて味わいがある。これを「古美る」(ふるびる)と呼んでいる。屋根瓦など工業製品化し、国内市場の拡大もできずコモディティ化(注1)した瓦では価格競争に直面してしまうが、瓦切り文字はかなりニッチな市場で、かつ手づくりの良さを売りにできるので、自分の想いが実現できると思っている。」
(注1)コモディティ化とは・・商品が個性を失い消費者にとってどこのメーカーの商品も大差のない状況となること
■製作は毎日おこなっている?
「基本的には毎日で、土日も関係なくやっている。組合の集まりや子どもの学校行事などが入る日もあるので、土日関係なく、体が1日空く日は製作活動をしている。
朝は大体8時くらいからメールチェックやBlogの更新、9時くらいから夕方まで製作をして、その後またギャラリーに戻ってメールチェックなど。週に2~3回は10km程度ランニングすることにしている。ランニングすると色々なことがリセットされて頭もクリアになる。その後、家に戻って食事をしながら酒を呑むと、また新しいアイデアが浮かんでくる。」
■企画からデザイン、製作までをすべて手掛けているが、どうやって自分を磨いている?
「だるま窯のある山田先生(山田脩二氏)のところに行って、焼き加減のデータを取ったりもしている。
それからセミナーを受講し、瓦以外の業種の仲間とのつながりを大事にしている。大工などの職人、設計士や建築業界以外の人たちと話をすることで、アイデアが浮かんでくる。」
■淡路瓦400年祭を迎えるにあたり、瓦産業に携わるみなの心がひとつになっているのでは?
「淡路瓦のような重厚な屋根瓦を使わない軽量でコストをかけない家が多くなるにつれ、「このままではダメだ」という気持ちは皆にある。それは共通していると思う。
一方で、世代間で意識の違いは大きい。例えば、幼稚園の餅つき大会があって参加していると、祖父母にあたる50~60歳代の人たちは、とにかく「はやく、はやく」という価値観。私のような世代は、折角の餅つきだから餅を作る日本の伝統的な工程を楽しみたいという気持ちがある。また、津井は坂が多くて、利便性が悪いというが、土を採掘し瓦で栄えた町の歴史であり、どこにもない唯一の町であることを認識する事からいろいろな価値観が見えてくるのではないかと思う。」
■淡路瓦400年祭で伝えたいことは?
「瓦の持つ『情緒的価値』、瓦をつくる人の『感性価値』を、地元の津井の人たちや淡路の人たち、異業種の人たちに知ってもらう、再認識してもらうこと。また淡路瓦が瓦屋だけでなく、あらゆる業種の人たちの助け・支えがあってこそ地場産業の淡路瓦であることをもっと認識しなくてはいけないと思う。これを忘れての地場産業の再生はないとはっきり思う。自分が住んでいる地域に感謝し深く知ることで、よく自分で認識することが良さや付加価値の発見になり、差別化のアイデアにもつながると思う。
淡路瓦400年祭については、オフィシャルブログを開設しているので、イベントなどの情報もチェックしてほしい。」
■400年祭に合わせてギャラリー“Vasara Ba”を開設したとのこと。“Vasara Ba”の意味は?
「Vasaraは、漢字では「婆娑羅」と書き、古い価値観と新しい価値観が融合し独自のものを創り出すことを意味としている。そこに「Ba」が付いているのは、「場」の意味。つまり、「古い価値観と新しい価値観が融合してオリジナリティを生み出す場」ということである。
先にも話したが、これまでは、瓦師は瓦が使われる建築現場を見ることがなく、また、家をつくる設計士や施主さんも瓦について知ることがなかった。これは、そういう場所がなかったからである。Vasara Baは、設計する人や大工さん、それに実際に家に住むことになる施主にも気軽に訪れてもらい、淡路瓦に触れて欲しいという想いから開設した。」
■津井をミュージアムに
「淡路瓦400年祭を契機にVasara Baを開設したが、将来的には津井全体がミュージアムになって、その1つのブースとしてVasara Baがある、そういう場所になると良いと思っている。そのときには、「瓦の庭」や屋根瓦の企業は当然だが、瓦以外の陶芸家や家具職人・ガラス職人などの関連異業種もミュージアムの一員として場が形成されることを思い描いている。」
■瓦師として目指す先は?
「瓦師というのは、土を練って形成し、焼き、葺き終わるまで一連を全部できる人のことを言う。そういう意味では、自分も瓦師を目指したいと思うが、新しいことにチャレンジしたりアイデアを出すためには、瓦以外のことにも興味を持っていないといけない。もしかすると、十分の九くらいは、瓦以外のことで占める方が良いのかも知れない。でも、最後の「一」は、やっぱり瓦師でないといけない。そこを外すと、軸がなくなるし、分相応でなくなる気がする。「瓦師の一分」というのが、自分が目指す姿だと思っている。」
清水さん、インタビューにご対応頂き、ありがとうございました。
淡路瓦400年祭はいよいよ2010年の今年!ぜひ、みなで盛り上げましょう!
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清水公博さん(右)と妻めぐみさん(左)
*Vasara Ba ウェブサイト: http://www.vasara-sp.com/
*淡路瓦400年祭オフィシャルブログ: http://project400.exblog.jp/
”瓦師”になる
■生まれも育ちも津井とのこと。瓦に触れるようになったのはいつ頃から?
「祖父と母は元々窯業をしていた。中学生の頃に廃業。
私自身は、専門学校をやめて津井に戻り、目標もなく仕事をしていましたが、2年後に親戚の瓦屋で働き始めたのが瓦に触れるきっかけとなった。その当時は、白地も窯元も、分業化された瓦産業の一部分を担うのが普通であり、瓦が最終的に建築現場でどういう風に使われているかを知る機会はなかった。また、施主(建築主)も、家を建てるにあたって事前に瓦を詳しく知ったり調べたりすることはなかった。そんな中、建築現場で瓦葺きの仕事をするにつれて、道具物(装飾のある軒瓦や袖瓦)の改良をしてみたいと思うようになった。その頃から、昼間は瓦工場で働いて、夜は瓦葺きと道具物の改良をするような生活をしていた。道具物を作る作業場が無かったから、狭いガレージの中でやっていた。」
■25歳で結婚、その後会社を興して“瓦師”になる
「結婚して子どもが出きてから、しばらくは妻(めぐみさん・36歳)も瓦の仕事を手伝っていた。妻は、塀瓦や塀の飾りになる「はな」や「まがり」などの道具物を作っていた。その後、ギャラリーを構えてからは、事務や製品の配達、営業に専念してもらっている。今年からは、ギャラリー「Vasara Ba」も開設したので、これから色んな人に訪れてもらいたい。
一押し商品の「瓦切り文字」
(注1)コモディティ化とは・・商品が個性を失い消費者にとってどこのメーカーの商品も大差のない状況となること
“走ってリセット、呑んでアイデア”
■製作は毎日おこなっている?
「基本的には毎日で、土日も関係なくやっている。組合の集まりや子どもの学校行事などが入る日もあるので、土日関係なく、体が1日空く日は製作活動をしている。
朝は大体8時くらいからメールチェックやBlogの更新、9時くらいから夕方まで製作をして、その後またギャラリーに戻ってメールチェックなど。週に2~3回は10km程度ランニングすることにしている。ランニングすると色々なことがリセットされて頭もクリアになる。その後、家に戻って食事をしながら酒を呑むと、また新しいアイデアが浮かんでくる。」
■企画からデザイン、製作までをすべて手掛けているが、どうやって自分を磨いている?
「だるま窯のある山田先生(山田脩二氏)のところに行って、焼き加減のデータを取ったりもしている。
それからセミナーを受講し、瓦以外の業種の仲間とのつながりを大事にしている。大工などの職人、設計士や建築業界以外の人たちと話をすることで、アイデアが浮かんでくる。」
感じる世代間の感覚の違い
■淡路瓦400年祭を迎えるにあたり、瓦産業に携わるみなの心がひとつになっているのでは?
「淡路瓦のような重厚な屋根瓦を使わない軽量でコストをかけない家が多くなるにつれ、「このままではダメだ」という気持ちは皆にある。それは共通していると思う。
一方で、世代間で意識の違いは大きい。例えば、幼稚園の餅つき大会があって参加していると、祖父母にあたる50~60歳代の人たちは、とにかく「はやく、はやく」という価値観。私のような世代は、折角の餅つきだから餅を作る日本の伝統的な工程を楽しみたいという気持ちがある。また、津井は坂が多くて、利便性が悪いというが、土を採掘し瓦で栄えた町の歴史であり、どこにもない唯一の町であることを認識する事からいろいろな価値観が見えてくるのではないかと思う。」
■淡路瓦400年祭で伝えたいことは?
「瓦の持つ『情緒的価値』、瓦をつくる人の『感性価値』を、地元の津井の人たちや淡路の人たち、異業種の人たちに知ってもらう、再認識してもらうこと。また淡路瓦が瓦屋だけでなく、あらゆる業種の人たちの助け・支えがあってこそ地場産業の淡路瓦であることをもっと認識しなくてはいけないと思う。これを忘れての地場産業の再生はないとはっきり思う。自分が住んでいる地域に感謝し深く知ることで、よく自分で認識することが良さや付加価値の発見になり、差別化のアイデアにもつながると思う。
淡路瓦400年祭については、オフィシャルブログを開設しているので、イベントなどの情報もチェックしてほしい。」
“Vasara Ba”に込める想い
■400年祭に合わせてギャラリー“Vasara Ba”を開設したとのこと。“Vasara Ba”の意味は?
「Vasaraは、漢字では「婆娑羅」と書き、古い価値観と新しい価値観が融合し独自のものを創り出すことを意味としている。そこに「Ba」が付いているのは、「場」の意味。つまり、「古い価値観と新しい価値観が融合してオリジナリティを生み出す場」ということである。
2009年にオープンした"Vasara Ba"
■津井をミュージアムに
「淡路瓦400年祭を契機にVasara Baを開設したが、将来的には津井全体がミュージアムになって、その1つのブースとしてVasara Baがある、そういう場所になると良いと思っている。そのときには、「瓦の庭」や屋根瓦の企業は当然だが、瓦以外の陶芸家や家具職人・ガラス職人などの関連異業種もミュージアムの一員として場が形成されることを思い描いている。」
目指すは“瓦師の一分”
■瓦師として目指す先は?
「瓦師というのは、土を練って形成し、焼き、葺き終わるまで一連を全部できる人のことを言う。そういう意味では、自分も瓦師を目指したいと思うが、新しいことにチャレンジしたりアイデアを出すためには、瓦以外のことにも興味を持っていないといけない。もしかすると、十分の九くらいは、瓦以外のことで占める方が良いのかも知れない。でも、最後の「一」は、やっぱり瓦師でないといけない。そこを外すと、軸がなくなるし、分相応でなくなる気がする。「瓦師の一分」というのが、自分が目指す姿だと思っている。」
清水さん、インタビューにご対応頂き、ありがとうございました。
淡路瓦400年祭はいよいよ2010年の今年!ぜひ、みなで盛り上げましょう!
(インタビュー日:2009年12月3日 文責:溝淵)
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